1. 宮浦健人とは?プロフィールを簡単に紹介
宮浦健人さんは、熊本県荒尾市出身の男子バレーボール選手であり、現在はウルフドッグス名古屋で活躍しています。
日本代表としても活躍しており、若くして世界の舞台に立ち続ける注目の存在です。
熊本県のバレーボール名門である鎮西高校を卒業後、早稲田大学へ進学し、大学時代には全国大会での優勝に大きく貢献しました。
宮浦健人さんの活躍は国内にとどまらず、ポーランドやフランスのリーグでもプレーし、現在のチームでも主力として期待されています。
1-1. 宮浦健人の年齢・身長などの基本情報
- 名前:宮浦健人(みやうら けんと)
- 生年月日:1999年2月22日
- 年齢:26歳(2025年7月時点)
- 身長:190cm
- 所属チーム:ウルフドッグス名古屋
- ポジション:オポジット(OP)
- 利き腕:左
- 最高到達点:347cm
- ブロック到達点:320cm
2. 宮浦健人の出身校はどこ?
小学校 | 八幡小学校(熊本県) |
中学校 | 鎮西中学校(熊本県) |
高校 | 鎮西高校(熊本県) |
大学 | 早稲田大学(東京) |
2-1. 出身小学校・中学校
宮浦健人さんの出身小学校は熊本県荒尾市立八幡小学校です。
小学校2年生の頃、バレーボールをしていた家族の影響を受け、玉名ジュニアバレーボールクラブに入りました。
小学生時は、「周りの選手の方がずっとうまかった」と語っています。
荒尾市立八幡小学校卒業後、熊本市内にある鎮西中学校へ進学しました。
鎮西中学校は新設の中学校で、宮浦健人さんは一期生として入学しました。
鎮西中学校は鎮西高校の付属校であり、父親の恩師である畑野監督の誘いが進学のきっかけだったそうです。
新設校だったため、部員数が少なく公式戦には出場できなかったものの、バレーボールに打ち込む情熱は誰よりも強く、鎮西高校の体育館を借りて練習を積み重ねました。
2-2. 宮浦健人の出身高校はどこ?バレーの強豪校での活躍
宮浦健人さんの出身高校は熊本県のバレーボール名門、鎮西高校です。
鎮西高校は全国大会の常連校として知られ、多くのプロ選手を輩出してきました。
宮浦健人は鎮西高校に進学後、1年生の時に腰椎分離症によりチームから離脱しましたが、復帰後はチームのエースとして活躍しました。
2年生のときには春高バレーで準優勝を果たし、全国に名前を知られる存在となりました。
3年生の時には熊本地震の影響で体育館が使えず、学校の運動場で作った「砂場コート」や福岡県内の体育館を借りて練習を続けました。
最後の春高バレーでは初戦で敗退し、宮浦健人さんは「自分がふがいないせいで、負けました」と語り、練習環境を一切言い訳にしませんでした。
また、高校3年生の時にはU-19アジアユース選手権の日本代表キャプテンとしても選ばれ、アジアの頂点に立つ大役を果たし、大会MVPにも選ばれています。
その後の世界ユース選手権でも銅メダルを獲得し、国際舞台でも実力を証明しています。
2-3. 大学はどこ?進学先と大学バレーでの実績
高校卒業後、宮浦健人さんはスポーツ推薦で早稲田大学スポーツ科学部に進学しました。
早稲田大学は大学バレー界屈指の強豪校として有名であり、1年生からスタメンに抜擢されるほどの実力を発揮しました。
在学中、全日本インカレで4連覇を成し遂げ、4年生では主将としてチームをまとめ上げました。
大学時代には、ケガ防止とパフォーマンス向上を目的にウェイトトレーニングと栄養管理を徹底し、フィジカル面でも大きく成長しました。
3. 大学時代からプロへ|宮浦健人の現在地
大学で磨かれた技術と精神力を武器に、プロの舞台でも結果を残し続け、現在はウルフドッグス名古屋で新たな挑戦をスタートさせています。
3-1. プロバレー選手として|海外の挑戦と現在のチーム
大学卒業後、宮浦健人さんはプロの世界に飛び込み、ジェイテクトSTINGSでVリーグデビューを果たしました。
大学で培った高打点のスパイク力と曲がるサーブはプロの舞台でも十分に通用し、ジェイテクトSTINGSでは即戦力として活躍しました。
宮浦健人さんはプロ2年目で海外挑戦を選び、ポーランドのPSGスタル・ニサに移籍しました。
その後、フランスのパリ・バレーに移籍し、サーブランキング1位や9度もMVPを獲得するなど、プロ選手としての価値をさらに高めました。
海外留学の後、再びジェイテクトSTINGS愛知で活躍しました。
ジェイテクトSTINGS愛知での成績
項目 | 数値(2024-25シーズン) |
試合数 | 39試合(152セット) |
アタック得点 | 687得点 |
ブロック得点 | 52得点 |
サービスエース | 72得点 |
合計 | 811得点 |
現在、宮浦健人さんはウルフドッグス名古屋に所属し、プロとして新たなシーズンを戦っています。
2025年6月に移籍が発表され、ウルフドッグス名古屋において、宮浦健人さんの強烈なスパイクと曲がるサーブがチームの大きな得点源として期待されています。
国内リーグだけでなく、日本代表としても活躍を続け、プロとして世界に挑む姿勢は多くのファンに感動を与えています。
4. 宮浦健人の代名詞|曲がるサーブ!
宮浦健人さんの最大の武器は、世界のトップ選手をも翻弄する「曲がるサーブ」です。
サウスポーの独特の特性から放たれる、宮浦健人さんだけが持つサーブの軌道は多くのファンを魅了しています。
4-1. ファンの声|愛称は「バナナサーブ」
宮浦健人さんの曲がるサーブは、ファンの間でも大きく話題となってます。
時速120kmにも達するというサーブは、SNSで「曲がり方が異次元」「リベロでも取れない」といった声が多数寄せられています。
バレーボール選手たちにとっても、宮浦健人さんのサーブはお手本とされ、「どうやったらあの軌道を生み出せるのか」と多くの練習動画が共有されています。
2025年のネーションズリーグではスロベニア戦でサービスエース2本を含む17得点を挙げ、「サーブがえぐい」「曲がりすぎて止められない」とSNSでも話題になりました。
「バナナサーブ」という愛称が付くほど、このサーブはファンに親しまれています。
プロとして世界に挑み続ける宮浦健人さんの代名詞であり、日本バレー界の大きな武器でもあります。
これからも宮浦健人さんが国際舞台での活躍を糧に、バレーボール界でどのような輝きを見せてくれるのか、ファンの注目は尽きません。