1.はじめに|宮部藍梨のプロフィールまとめ
2.宮部藍梨の学歴まとめ
小学校 | 尼崎市立金楽寺小学校 |
中学校 | 金蘭会中学校 |
高校 | 金蘭会高等学校 |
大学 | 神戸親和女子大学→サウスアイダホ大学→ミネソタ大学 |
2-1. 出身小学校とバレーボールとの出会い
宮部藍梨選手の出身小学校は、兵庫県の尼崎市立金楽寺小学校です。
小学3年生の時に、チームの人数が足りなく、助っ人を頼まれたことがバレーボールを始めるきっかけだったといいます。
当時はバレーを辞めたいと思っていたそうですが、チームが試合に出られなくなるため、結局辞められずに続けることになったそうです。
今ではそのことを“辞めるのに失敗した”と笑い話のように語っています。
2-2. 出身中学校と全国大会での活躍
小学校卒業後、宮部藍梨選手は、金蘭会中学校に進学します。
中学3年生の時に、全国都道府県対抗中学大会で、最も将来有望な選手に贈られる「JOC・JVAカップ」を受賞しました。
この中学時代の功績が、宮部藍梨選手が全国区スターへの第一歩となったことは間違いないでしょうね。
2-3. 出身高校は金蘭会高校
その後、宮部藍梨選手は、中高一貫で金蘭会高校へ進学し国際舞台でも活躍することになります。
高校1年生ながら、東京五輪に向けた集中強化対象選手『Team CORE』に選ばれます。
さらに、U-17アジアユース選手権の日本代表として優勝を果たし、大会MVPを受賞しました。
また、2015年には高校生で唯一シニア日本代表に選出されます。
ワールドグランプリ(現・ネーションズリーグ)に出場し、18得点を挙げる活躍を見せ、シニア日本代表での初陣を飾りました。
宮部藍梨選手は国内でも抜群の成績を残しています。
高校1年生からチームの主力として活躍し、インターハイ、春高バレー、国体で優勝を果たし、高校3冠を達成しました。
また、高校3年生では、国体優勝、インターハイ準決勝、春高バレーベスト4という活躍を見せています。
なお、宮部藍梨選手本人は
と語っており、満足はしていなかったようです。
2-4. 大学時代はアメリカへ留学
高校卒業後、宮部藍梨選手は神戸親和女子大学に入学しました。
当然Vリーグからオファーもあったそうですが、
と語り、アメリカのサウスアイダホ大学(2年制)へ留学します。
大学2年生時には、2年制大学全米大会で優勝し、MVPを獲得します。
サイスアイダホ大学卒業後、ミネソタ大ツインシティー校に編入し、ミネソタ大大学院まで進学し、卒業しています。
大学時代には、2008年北京五輪で米国男子代表を金メダルに導いた、ヒュー・マッカーチョン氏と出会います。
と宮部藍梨選手はインタビューで語っており、技術面や精神面で大きく成長しました。
3.日本代表復帰とVリーグ挑戦
2022年に、かつて高校2年の宮部藍梨選手を日本代表に抜擢した真鍋政義監督により、再び日本代表に選出されます。
大学院時代では、「トップレベルでバレーを続ける自分の姿が想像できなかった」と語っていた宮部藍梨選手にとって日本代表召集は、大きな転機となります。
海外チームからのオファーもあったそうですが、真鍋政義監督が設立したヴィクトリーナ姫路に加入しVリーグに挑戦することになります。
その後も日本代表として、ネーションズリーグ(2022~2025年)、ワールドカップ(2023年)、パリ五輪に出場しています。
宮部藍梨選手は、バレーボール日本代表・国内リーグの両方で唯一無二の実績と存在感を発揮し続けています。
宮部藍梨選手の2024-25シーズンの活躍
項目 | 数値 |
試合数 | 46試合(169セット) |
アタック得点 | 437点(決定率45.6%) |
ブロック得点 | 62点 |
サービスエース | 18点 |
合計 | 517得点 |
4.宮部藍梨はハーフ?両親や家族構成について
宮部藍梨選手は「日本人とナイジェリア人のハーフ」であり、両親と妹の4人家族です。
父がナイジェリア人で、母が日本人、そして妹がバレー日本代表にも選ばれた愛芽世さんです。

最後までお読みいただきありがとうございました。
宮部藍梨選手の挑戦と成長の物語は、スポーツファンだけでなく多くの人にインスピレーションを与えてくれます。
これからも目が離せない選手として、一緒に応援を続けていきましょう!